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生のヒントと転機の8章
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>自分への弔辞

 この度は、天寿を全うされおめでとうございます。
 年齢に応じていろいろと故障を加えながらも、100才を越える大往生を迎えられたことは、このストレスフルな世の中で誠におめでたいと言うことができます。

 しかしながら、その後ろには貴君のストレスを一身に受け、支えていた奥さんがありました。
 貴君は80までが現役、その後はもらいものと言っていましたが、その余生で少しでも奥様の気を安めてあげることができたでしょうか?


 聞けば、インディアンに7年転機説があるようですが、貴君もまた、鹿児島ー鹿屋ー佐伯ー札幌ー千葉ー静岡…等と、ほぼ7年毎に各地を転じております。
 これにより各地に友人ができるとともに、周辺人(マージナルマン)として外からものを見る目ができ、異文化を恐れず楽しむと同時に、デラシネとして自分の死に場所は自分で選ぶという観念ができました。

 さて、2度目の転機である14才の頃、貴君は父親に対して反抗期の盛りです。
 が、3度目の転機にいたる中間ー17才で、貴君は転勤について行かず高校に残ります。
 この時貴君は親の愛情を知りました。
 同時に自由奔放な活動と感動が、その後の人生で求めるものを決定しました。

 3度目の転機となる20才の頃、貴君は1年間、日本を縦断する放浪の旅に出ます。
 自分探しの旅とでも言えるのでしょうが、最大の収穫は人は一人では生きていないと言うことでした。

 翌年貴君は今の奥さんと知り合い、金の現実にぶつかることなく、理想を追求した理論形成に埋没していきます。
 そして自ら金の現実にぶち当たろうと考えていた25才ーある仕事を機に目覚め、26才で卒業と同時に結婚、就職したのです。
 こうして、ようやく貴君は遅蒔きながら、金と妻、社会と家庭を得、現実の世の中に生きられるようになったわけです。


 その後40才にいたる14年間、貴君は会社に貸し借りがなくなるべく努力しました。
 高校の頃「四十不惑」を知ったときから、人生80年のターニングポイントである40才で惑おう、と心に決めていたようですね。
 そして、39才の1年間、貴君は社会を見、会社を見、地域を見、自分の両親、妻、そして子ども達を見つめました。
 その問題の中からカウンセリングというものに出会い、さらにその中に、自分が学生の頃も会社の中でも演じていた自分の役割を見いだしたのです。

 折りしも、弱者の気持ちを忘れるな、と遠くから見つめてくれていた親友がガンで亡くなった年でした。
 この時から貴君は会社のためでなく、社会のために生きることを決意したのです。


 生き甲斐を求めるのはわがままなことです。
 わがままな貴君がここまでやって来れたのは、偏に両親、友人、そして奥様の支えがあったからです。
 そして、その支えを可能にしたのはただ一点、貴君の素直さです。

「ありがとう」
 といって死ぬことを可能にしてくれた奥様に最大の賛辞を捧げ、もって貴君への冥福とします。

【自分への弔辞(1999.1.17 40歳)】


*「自分への弔辞」を書く際に注意することが一つだけあります。
 「事故死」などの類は絶対に書かないで下さい。自分が贈られたいという「賛辞」を書いてください。

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