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 HOME>メディア>「交流分析協会関東支部会報」2009.01掲載記事

■2008年「変」の世相を振り返る

新年おめでとうございます。
オバマ大統領が誕生し、彼の国から変化の風が吹いてきそうです。
昨年の日本も、夜明け前のもっとも暗い刻を思わせるような「変」の年でした。

2008年の世相を振り返ってみましょう。
お屠蘇気分を一挙に吹き飛ばしたのが、1月5日に起こった通り魔事件でした。
高2の少年が品川区の商店街で通行人に次々と切りつけたのです。

この事件を始め、昨年は土浦荒川沖駅無差別殺傷事件(3.23)、岡山突き落とし事件(3.25)、秋葉原通り魔事件(6.08)など、自分と無関係の人を無差別に殺す通り魔事件が相次ぎました。

「誰でもいいから殺したい」と言うのは親への殺意の裏返しです。
子の気持ちを受け止める余裕のない親が子を追い詰めています。

学校は、怒りを溜め込んだ大人や子どものはけ口の場となりました。
モンスターペアレントが子の問題にかこつけて怒りを吐き出し、家で受け止めてもらえない子どもは学校を吐き出しの場にします。

空洞化してしまった家庭はDV殺人、親殺し、子殺しの現場となっています。
子を背負いきれない親は外に委託し、丹波ナチュラルスクール暴行事件など同様な事件がまたも繰り返されました。

それどころか、20代と50代がネットカフェ難民の双璧である現実は、家庭そのものがもはや崩壊してしまっていることを示しています。家庭はもはや安全基地どころか崩壊基地なのです。

全国の自殺者は10年連続で3万人を超え続けています。
『主人の先輩が自殺されました…命あってこそ。会社がなんぼのものやと主人に言いました。娘の同級生のお父さんも、先月自殺されたとのことです。春にも、子どもの入学式を前に自殺されたお父さんがあったとのことでした。子どもの自傷行為、学級崩壊、不登校…。やっぱり、間違っていると思います。』−私の相談者からのメールです。

自殺という言葉が、これほどにも"日常"に身近に現れる時代がかつてあったでしょうか。
追い詰められた人々は、外にはけ口を求めるか、身内で殺し合うか、自分を殺しているのです。



『世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい』『私は今迄に、すねている子や、身体的の刑罰を見たことがない』

とモースが書いたのが、わずか130年前。



果たしてモースが見たのと同じ国なのでしょうか?
この130年間で日本はさらに幸せになったのでしょうか?

政治は末期症状を呈しています。たとえばナポリ。大人社会が侃々諤々議論をして悪しき現実をダラダラと延命させている間に、「ナポリを見て死ね」といわれた美しい町は「ナポリを見たら死ぬ」と言われるゴミに埋もれた町になりました。ついに高校生達が、右も左もない、主義もイデオロギーもない、ただ「環境を返せ」と訴えました。オバマも、大人社会(ヒラリーvsマケイン)にうんざりした若者達が選んだのです。

米国ビッグ3の衰退は現代文明の転換を、
道路財源の問題は車社会から人社会への転換を、
グッドウィル廃業は人を道具として扱う働かせ方の転換を、
毒入り餃子事件をはじめとする食の安全の問題は地産地消への転換を示しています。


今、文明の大きな転換期に来ているのです。


私たちのAを汚染されたPから解放しましょう。
転換しなければ温暖化は私の子どもたちを苦しめるでしょう。

が、希望は見えます。
自分ができることを実行する人が増えているのです。

大切なことを伝えるために一介の主婦が映画を作り世界のフェスが取り上げてくれました。
私も、一人の主婦の依頼から講演させていただきました。

先のメールのお母さんは、次のように書かれています。

『娘が先輩たちとの合言葉で"Yes,We Can!"と言っていると話してくれました。不可能を可能に…できると信じられます』 


私も言います。


「Yes,We Can!」






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