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 HOME>「元気なお父さんづくり応援ブック2008」寄稿

■「いい子」は万病の元

社団法人日本家庭生活研究協会では、文科省推薦「元気なお父さんづくりプロジェクト」の一環としてシンポジウム、ワークショップ、情報発信を行っています。
2008応援ブック目次
「礼儀正しく挨拶する子だったのに…」
「反抗期もなくいい子だったあの子が…」

事件が起きたときに、こういう言葉がご家族や近所の人から聞かれることがあります。
なぜ、「いい子」が事件を起こすのでしょうか?

事件が起こったご家庭も、事件が起こるまではうちの子は問題ないと思っていることが多いのです。
高3の息子に殺された母親は「なぜ?」という悲鳴の中で絶命しました(07年福島高3母親殺害事件)。
うちの子は問題ないと思って会社にかまけているお父さん、病というものは知らぬ間に進行しているものなのです。少しの間耳を傾けてください。

さて、私は冒頭の言葉を聞くと、
「あぁ、親が親ではなかったんだなぁ」
「親が子供から支えられていたんだなぁ」
と思ってしまいます。

親が親ではない…一体どういうことでしょうか?
まず、「親」とはどのような存在なのか、その字の意味から見てみましょう。

親という字は、「辛」「木」「見」の組み合わせでできています。
「辛い木をそばで見ている人」という意味です。

「辛い木」とは、どのような木でしょうか。そう、スパンと切られたばかりの生木ですね。その切断面を見ていると、ジクジクヒリヒリとして痛そうですよね。とても見ていられません。放っておけなくて、つい手当をしたくなります。が、そこをグッと我慢するのです。手を出したいという内なる衝動をグッとこらえて、ただ黙って見守ります。すると、そのうちカサブタのように樹脂が出てきて木は自己修復していきます。

つまり、親とは、木の辛さを我が身のことのように感じながらも、傍にいて黙って見守る人のことを言うのです。

我が子を信じて、手を出さずに見守る辛さを知って初めて親になるのです。
とても、深い字だと思いました。

つまり、親の役割はただ2つです。
1,気持ちを受け止めること(共感的に感じること)
2,見守ること(見守る存在(Being))

「気持ち」とは「その人自身」ですから、気持ちを聴くことが、取りも直さずその人の存在を受け止めることになります。受け止めてもらうと子供は自信を持ち、自分の思いで行動するようになり、その体験が自分の背骨を作っていきます。背骨がなければ人は自立できませんから、親のなすべき事は子供の気持ちを育てる環境になることといってよいでしょう。

逆にこの2つが出来ていない次のようなときは、親とは言えません。
1,子の気持ちを受け止めない
2,見守らない(放置する、もしくは働きかける(Doing))

上記の場合は次のような状況的背景が親の側にあります。

・自分が親の愛情に飢えた大きな子供(我が子ではなく常に自分の親を見ている)
・自分が人(親)に認められたくて、自分の思うとおりに子を支配(コントロール)してレールに乗せようとする (「おまえ(あなた)のため」と言いつつお膳立て)
・自分の感情(怒りや愚痴)のはけ口として子供を利用する(躾の名を借りて)
・世間に後ろ指指されないように躾第一(母子家庭などにありがち)
・愛情不足のインナーチャイルドが我が子に嫉妬して甘えさせない
・自分が吐き出したい感情を一杯一杯抱えていて、子の気持ちを受け止めるだけの余裕がない
・自分の存在不安解消の道具として子供を利用する(過干渉、過保護、心配症)
・家名を守るために、その家の価値観を刷り込むことが優先(家業(医者、学者、農家、商家)、世襲、旧家、名門などの家にありがち)
・地域にあおられて親が競争している(学歴の高い親の住む新興住宅地など)
・自分が一人で闘って生きてきたと思っている人は、気持ちに対する洞察力が身についていない(自分自身を闘う道具にしている。自分の気持ちにも鈍感なので人の気持ちはわからない)

子が子供らしくなく、親にぶつかっていくこともせずにいい子でいるとしたら、それは、上記のように親が親ではないからです。子が親に気を遣っているのです。
そして、いい子でいる間、子は吐き出したい感情を我慢し溜め込んでいきます。
同時に、自分が自分でいられないこと、自分が道具扱いされていることに対して、無意識のうちに怒りを溜め込んでいきます。

上記のような親は異常で自分はそんなことはないと思うかもしれません。
以前、不登校になった子のご両親に「これまでのお子さんとの生活時間を100として、そのうちお子さんの気持ちを聴いた時間は何%くらいありますか?」とお訊きしたことがありました。
子供とのコミュニケーションを取っているつもりのお父さんは「30%くらい」と答えました。
お母さんはしばらく考え込まれた後で「ゼロです」と答えられました。
そう、コミュニケーションを取っているつもりでも、一方的になっていたり、事実ばかりで気持ちは聴いてなかったり…。でなければ不登校にはなりません。

そして、子供にとって気持ちを聴いてもらっていないということは、自分が受け止められていない、そこに自分はいないということです。 「酒鬼薔薇事件」で世を震撼させた少年Aは、自分のことを「透明人間」と言いました。Aは、自分の親が何故こうも自分の気持ちを無視するのかを考え続け、「自分が透明だから親は自分に気づかないんだ」と理由をつけることで、親から無視される孤独と寂しさを乗り越えようとしました。

しかし、無理にこじつけた理由で乗り越えられるほど、自分の存在を親から無視される絶対的孤独は生やさしいものではありません。そして、ついに彼は、自分の中に自分を認める存在を創り上げます−それが酒鬼薔薇でした。
私もカウンセリングで、「僕の中に親友がいるんです」という少年に会ったことがあります。
その少年の親も子供の気持ちを聴くことのない親でしたが、これほどに人は孤独では生きられない存在なのです。

そして、自分の「心のコップ」の中に吐き出せない感情が溜まっていくにつれ心に余裕がなくなりますので、息苦しい、眠れない、感情の起伏が激しくなる、イライラする、怒りっぽい、などの症状が出てきます。

あふれそうになる感情を常に抑えることにエネルギーを使いますので、集中力がなくなったり、忘れやすくなったり。

筋肉も緊張して感情を抑え込む機能をしていますので、身体が重かったり、全身がだるかったり、肩や背がバリバリに凝ったり。

チック、じんま疹、嘔吐、下痢なども、言葉で表現されない代わりに身体が吐き出そうとしているわけです。

部屋は心の表れです。
いろいろな感情が溜まりに溜まっているとき、ものを片付けることは出来ません。

また、人間関係は感情の受け止め合いが基本です。
自分が一杯で相手の気持ちを受け止めることが出来ず、一方相手の気持ちに呼応して抑え込んでいた感情が出てこようとしますから、人間関係がギクシャクしてトラブルになったり、人が嫌になったりします。

いずれも、その人の性格の問題ではなく、「心のコップ」が一杯になれば誰もがなり得る「症状」なのです。
「いい子」というのは、それらの症状の母胎となるれっきとした病理症状だと思ってください。

「"いい子"は万病の元」なのです。


子どもたちに言いたいと思います。

「子の甲斐性は親に面倒をかけること」



親に言いたいと思います。

「子に面倒をかけられて初めて親は親になれる」

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