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10、「OJT」の限界とは何か?

「それは、最初に言ったように彼らが工業化社会を生きてきたということだ。
 工業化社会の主人公はモノを作る設備だ。

 やり方は決まっているから、 設備ラインに応じたOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)教育で十分だった。まぁ、黙って先輩のやることについていけば良かったわけだ」

「事務職も同じですか」
「同じだね。

 トレーニングというのは、決まったやり方を訓練によって体得させることだ。
 変化が少ない時代にはやり方が決まってくるからね。
 つまり、同じことを同じようにやれる均質な労働力が重要だった。

 学校教育自体が、同じことをやれという方法論の押し付けの繰り返しじゃない。
 一六年もそれをみっちり刷り込まれれば、社会に出る頃には押し付けられることに慣れているだろうね。



 ところが、今は変化の激しい時代に変わった。
 状況が変化するのに同じやり方しかできないのであれば沈没してしまう。
 その状況に応じてそのつど考えるという力が重要になってきたわけだ。

 つまり、常に変化している今の時代には、考える力をつけるためのOJE(オン・ザ・ジョブ・エデュケーション)が必要なんだ」

 工業化時代の教育は、教育(エデュケーション)というよりも訓練(トレーニング)でした。
 
限定された枠組みの中で問題を解くスキルのみが繰り返し繰り返し訓練され、そのスキルに習熟したものが優秀とされたわけです。

 
問題や課題は「与えられるもの」
 「考えずに言われたとおりに動く」「周りと同じように行動する」というのも、「教育」の絶大なる効果です。
 体で覚えた“癖”は、そう簡単に直るものではありません。
 一方、学んでない事はなかなかできないものです。

 教育でおろそかにされた「概括力」「問題発見能力」「課題設定能力」などが身についていないために、足をひっぱったり、混乱を巻き起こしたりする人物が何人か登場します。

 
島津は、その人々にどのように対処したのでしょうか?

上記のような人物に困っている上司の方、そして、部下の方、是非参考にしてください!!


―OJTの変遷―

 工業化社会でもてはやされたOJTも、装置化が進むに伴いなおざりにされますが、 成長が鈍化し始めるとOff JT(仕事を離れて合宿などのコストをかけて教育すること)に金をかけないために、 「うちはOJTをやっている」と言い訳に使われることによって、再び脚光を浴びました。

 今は、知識を学ぶための「eラーニング」がもてはやされていますが、そこで学んだ知識をどう現実に活用するかという知恵を身につけるためにも、本当に必要なのは「OJE」です。

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