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11、「日本企業は同質集団である」は、幻想

「同感。方法を持つ人間にとって、ほかの方法を闇雲に押し付けられることは苦痛でしかない。
 必要なのは、ゴールへの到達方法を指図することではなくて、なぜそのゴールに向かうのかという理由を明示することだ。
 そこが分かれば、そのゴールに到達するもっともよい方法を考えることができるからね」(略)

「方法論が違うということは、一人一人が異質だということさ」

「つまり、顔は同じ日本人だけど、その実異質集団になっているということですか」
 夏目は、長い睫毛の下の目を丸くした。

「その通り。社内にフランス人やドイツ人など、価値観や考え方が異なる人間が混在している多国籍企業と同じだよ。 それなら多国籍企業がとる方法をとればいい。

 彼らは異質な人間を同じ土俵に乗せるために、言葉の定義を明確にして、なぜそのゴールに向かうべきなのかという説明も議論もきちんとしている。
 そうしないと、乗ってこないし足並みが揃わないからだ」

*この後、アカウンタビリティ(組織の責任)とレスポンシビリティ(個人の責任)の関係について話が出ますが、維新以降“お上”が民を指導してきた歴史のある日本では、アカウンタビリティが問われることはありませんでした。

 高度成長を押し上げる主体となった中高卒にとっても、方法論は会社が与えてくれるものでした。
 しかし、「駅弁大学」と言われるほどに大学が設置され高学歴社会となった時、方法論を持つ人材が輩出されるようになったわけです。

 その人材に対して、アカウンタビリティなしにOJT(トレーニング)のみを押しつける工業化社会のやり方が合わなくなってきたわけです。

*いつぞやのNHKのドキュメンタリーで、日産自動車の課長が次のような事を述べていました。
「数カ国の人間で会議をすると、議論を尽くして、その言ったことの1/100くらいづつ理解しながら進んでいく」―まぁ、大変なことですが、よく理解できました。日本もそう変わりません。.

*日産自動車は、外個人とのエンカウンターという目に見える形でアカウンタビリティが必要とされる「環境」に変化しました。しかし、実は上記に見たように「時代環境」が変化しており、変わらなければならないのはひとり日産自動車だけではありません。これまでの“常識”は通用しなくなっています。

 ところで、実はこの場面は、全体を通して夏目という女性社員に対するカウンセリングになっています。
 内心辞めるつもりでいた夏目は、見事その意志を撤回しました。

 島津がどのように導いたのか? 

様子の見方、座る椅子の位置関係等々、人事の方、上司の方は必見の場面です!


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